日本での販売
1950年代以来新東洋企業、西武自動車販売によって輸入されてきたが、輸入車に対して高級車・高性能車・個性派のいずれかを求める日本市場ではマイナーな存在であった。しかし1980年代半ばよりオースチン・ローバー・ジャパンとスズキが輸入元となって発売した205GTIが、従来のフランス車のイメージを覆し高性能で俊敏なこととキュートなスタイルで人気を博してから徐々に注目を集めるようになった。メーカーの日本法人プジョー・ジャポンが自ら輸入販売するようになった2000年以降、205の後継車206が大ヒットし、2003年には過去最高の1万5,330台の登録台数を記録するに至った。(統計資料、日本自動車輸入組合)
自転車については、サイクルヨーロッパジャパン株式会社がプジョーからのライセンスに基づいて、製造・輸入・販売を行なっていたが、2004年末をもってライセンス契約が終了した。その後はプジョー・シトロエン・ジャポンの子会社、「プジョー・シトロエン東京」がプジョー製の自転車を輸入している。
なおプジョーには国産プリンス自動車第一号車の設計の手本となったという逸話が残っている。第二次世界大戦直前、ブリヂストン創業者石橋正二郎は後援していた弁護士楢橋渡(後に政治家となる)が渡仏する際に、「一番評判の良い小型車を買ってきてくれ」と依頼した。楢橋が選んだのはプジョー・202であった。この202は戦中戦後にわたって石橋家の自家用車となったばかりでなく、そのエンジンは石橋がオーナーとなった富士精密工業が最初の4気筒1,500ccガソリンエンジンを設計する際の手本となった。